スーツと衝動買いの一日

kaneyon2004-12-02

今日はゼミ面接があったため、我が人生三回目のスーツに袖を通す。一言で表現すると、全く面倒くさい。ネクタイだったり、着た後の手入れの煩わしさ。これから頻繁に着なきゃいけないと思うと若干憂鬱になる。やれやれ。

携帯を衝動買いしてしまった・・・。auのdesign projectの最新作。あまりのかっこよさに買ってしまった。これで今月も金欠決定!やれやれ。

まったくやれやれな一日だった。やれやれ。

ヴィトン的微笑みとグッチ的微笑みの違いについて

kaneyon2004-12-01

僕は将来広告の仕事がしたいと思っている人で、そのためというか某会議の某講座を受けるために週に二回渋谷に通ってます。
今日は事前にだされた課題の講評があったんだけど、いやー全然駄目ね、僕。これからも修行に励まねば。
まあその辺の話はまたいずれゆっくりすることにして、今日の本題。

その講座ってのが青学の前の「こどもの城」ってとこでやるんだけど僕は原宿で降りて表参道を歩いていくことが割に多い。
表参道にはヴィトンやらシャネルやらグッチやらといった所謂高級ブランドの店が軒を連ねているわけで、そんな店の前を通っている時に考えた話。
そういった高級ブランドの扉にはドアマン(?)みたいな男性が立っている。あんな店の扉のとこに立つためには結構な要素が必要なんだと思う。まずそれなりのスタイル、ルックスが必要だろう。ブランドイメージを崩すような人には絶対に無理なんだろう。あとすごく重要な要素が笑顔。お客がまず目にする人だし、数多くの笑顔を使い分けられないといけない。頑張ってためたお金で初めてヴィトンに来たような地方出身の女の子の緊張をほぐしてあげるような笑顔、セレブ(何だこの言葉?)の方には安っぽくなく、何処となく高級感の漂う様な笑顔。ブランド好きの彼女に半ば無理やり連れてこられて憂鬱になっている男には、その男の辛さを分かってあげつつ、結局は買わされてしまうようにそれとなく誘うような笑顔。もう色んな種類の笑顔を瞬時に判断して使いこなさなければならない。もー、大変ですよこれは。僕には絶対無理ですね、はい。
んで、ここで問題なのがもしヴィトンのドアマンとグッチのドアマンを入れ替えたとする。ふたり共、たくさんの笑顔を使いこなすことができる凄い人たち。でも何故かしっくりこない。ヴィトンのドアマンだった彼はグッチの人に「うーん、君の笑顔はヴィトン的なんだよね」と言われてしまう。逆もまた然りでグッチのひとはヴィトンの人に笑顔がグッチ的だといわれてしまう。こんな風にヴィトンにはヴィトン的微笑み、グッチにはグッチ的微笑みといった違いは存在するのだろうか?今度よく観察してみよう。

皆さんはどう思います?

はじめまして、こんばんわ

kaneyon2004-11-30

はじめまして、kaneyonと申します。
某国立大学に通う善良な大学生です。

最近開通したのをいいことにこんなことしてみることにしました。
日々の出来事、思いを中心に書いていくことになると思うのでよろしくお願いします。

早速出来事をひとつ。
昨日電車に乗っていると、某駅で大量の外国人が乗車。
様々な人種、年齢の人がペラペラと外国語で会話を炸裂させる。
僕は一瞬「うわー」って思って萎縮しかけた。そこでふと思ったわけです。
「待てよ、ここは日本で僕は日本人なわけでいってみれば彼らがよそ者なわけだよな。なのになんで生粋の日本人の僕が萎縮しないといけないんだ?しっかりしろ!自分!」て。

こういうのって僕だけなんだろうか?